イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜

こんなにも感想を書きたくない展示は久しぶり、わたしの持つ拙い言葉の枠のなかにあのこころの揺れを収められるとは思えない。今もまだ鮮明な記憶のなかのあの場所に戻ることができるので、書き留める必要も感じない。でもわたしは怖がりなので、記憶が薄れることを避けるために記録をしたいと思う。

 

水の反射と光の動きが印象派の作品における中心的な要素らしい。このふたつはわたしが写真を撮るときに切り取りたいものでもあって、なるほど印象派は好きになれそうだなと思う。絵として描かれているものが「永遠ではなく移り変わる自然の前で感じた印象や感覚そのもの」であるという解説を読み、ふうん、と思いながら歩いていったところで足が止まった。

f:id:xxsolitaria:20211210203415j:image
レッサー・ユリィの「風景」。暑くも寒くもないやわらかい風が吹いて水面が揺れ、写り込む木々がそよぐシーンがぱっと思い浮かんだ。ああそうか、印象派の絵は風景のどこか一点にピントを合わせているのではなくて、画家本人の印象にピントが合っているんだ。風景を切り取っているのではなくて、美しいと思った、心が揺れたその瞬間ひとつひとつを埋め込むための画角として現れているのがこの絵なんだ。それがわかって一気に引き込まれていった。レッサー・ユリィはここで初めて知ったのだけれど、「夜のポツダム広場」「冬のベルリン」「赤い絨毯」とどれもぱっと目が向いた。かなり好きかもしれない。特に「夜のポツダム広場」がよかったな、冷たい雨に濡れた夜道を照らす光はわたしも好きだ。人々の歩みで歪んで雨粒に揺らがされ、ゆらゆらと光り続ける薄い水面。美は破壊されうるからこそ成り立つとはよく言ったもので、確かに水も光もその完璧な一瞬を捉えることは難しい。だから残しておきたくなるんだよね。

 

f:id:xxsolitaria:20211210203428j:image
モネの睡蓮。ひとがたくさん集まっていた。これは撮影OKのところで撮ったイスラエル美術館所蔵のもので、別室にあと3点睡蓮が展示されていた。睡蓮の比較、なんて贅沢なことをさせてくれる展示なんだ……。どの睡蓮も構図はほとんど同じなのだけど着彩に差があるので印象がかなり違う。朝の光のなかで描かれていそうなやさしい色合いの東京富士美術館所蔵のもの、いちばん花そのものが目立っていたDIC川村美術館所蔵のもの、日没間近の夕陽に焼かれていそうな和泉市久保惣美術館所蔵のもの。モネはきっと一日中睡蓮を描いていたんだな。季節や時間帯によって光の差し込み方が違って見飽きなかったんだろうな。

 

f:id:xxsolitaria:20211210203443j:image
ゴッホの「麦畑とポピー」。観たときに「この筆致と色の明るさはアルルにいた頃で耳を切り落とす前かな?あ、"印象派に触れた"タイミングの絵がこれか……!」と点と点が線でつながって、ゴッホ展に行ったことが活きたのがめちゃめちゃ嬉しかった。とにかく行ってみたことが無駄にならなかった。気持ちのいい青空と一面の鮮やかなポピー、いいなあ。深呼吸したくなる絵だ。

 

f:id:xxsolitaria:20211210203503j:image
f:id:xxsolitaria:20211210203501j:image
セザンヌの「湾曲した道にある樹」、ドービニーの「花咲くリンゴの木」。好きだったもの。撮影OKゾーン広すぎない?いいの?と思いつつしっかり撮らせていただいた。三菱一号館ではお馴染みのルドンの「グラン・ブーケ」、これもじっくり観ることができて嬉しかったな。

楽しい展示だなと思いながらゆっくり観ていたら、ある絵の前でまったく動けなくなった。身体中の毛穴がぶわっと開いて、髪の毛が逆立っているような心地がして、自分の心臓の音がひどく大きく聞こえて、目を逸らすことができない。ルノワールの「花瓶にいけられた薔薇」。わたしのなかにあるなにも定まっていなかった"観たかったもの"が、唐突に形を持って目の前に現れた、という感覚だった。絵から目が離せないことって本当にあるんだ、絵を観ただけでこんなに胸が高鳴ることがあるんだ、この絵が家にあってほしいと本気で思うことがあるんだ、わたしってこんなに感情が動くんだ。なにもかもが初めてで本当に動揺した。この絵を観たあと他の絵をもう観たくなくて、最後の部屋を足早に一周した後もう一度薔薇をしっかり目に焼き付けてから外に出た。これまでいろんな展示を観に行ったけど、ここまで心を動かされた絵はこれまでになかった。びっくりして嬉しくて恐ろしくて、ふわふわしたままカフェに行った。

f:id:xxsolitaria:20211210204417j:image

落ち着きたくて注文したシブーストは動揺が抜けずあまり味がわからないまま食べ終わってしまった。カルヴァドスがっつりきいてるなあと思ったことは覚えている。

こんなに心動かされたのにミニキャンバスがない&ポストカードが売り切れていて崩れ落ちそうになったんだけど、心優しいフォロワーさんが代わりに購入して送ってくださることになった。本当にありがとうございます。額装したいので今素敵な額縁を探しているところ。

楽しくて忘れられない時間を過ごすことができた。ありがとう三菱一号館美術館