キューガーデン 英国王室が愛した花々 シャーロット王妃とボタニカルアート

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ボタニカルアートのジャンルでは芸術と科学は対等な関係にあり、単に美しいだけでなく科学的に正しいことが前提とされています。」

という文章を順路の最初のほうで読んだとき、「"正しい"ことが"美しい"と評価されているのはいいな」と思った。わたしはまだこのときボタニカルアートを絵画、芸術としてしか認識していなかった。

ウェッジウッドのクイーンズウェアがかわいい。銅板か黒鉛かで描かれた花の雰囲気が違う、銅板のほうが輪郭がぱきっとしている分"記録"っぽさが強いかも。ダーウィンウェッジウッドって関わりがあったの知らなかった。ルナーソサエティって世界史でやったっけ。キューガーデンの作品だけでなくて庭園美術館そのものが美しい。ぽつぽつと思い浮かんだことをメモしながら順路を辿る。会話非推奨なのでとても静か。音声案内もないからただ目の前の花と向き合う時間が続く。女性画家の作品が集められた部屋は特に絵の雰囲気がやわらかいような気がしたけれど、女性という事前情報なしに見て比較したかったなとも思う。印象に残ったのはピーター・ヘンダーソンかな。それまでの多くの作品が花単体の絵だったけど、このひとの作品には花だけではなく家のような人工物を含めた背景や水滴、虫食いのあとなどが描かれていた。植物にとっては葉に滴る水も寄ってくる虫も自然なことだ。そして植物が生きる場所で人間の営みがあり、人間や人間に作られたものと自然が共存してきたというのも嘘ではない。自然を正確に写しとるということを考える。

 

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カフェでひと息。テラス席に行きたかったけど満席だった、残念。オペラ・シャーロット、見た目も美しいし、薔薇のジュレとバタークリームがよく合っていて美味しかった。チョコレートがいいアクセント。

 

映像が2種類放送されていたので鑑賞する。ひとつめはキューガーデンの役割と働く人々について、ふたつめはキューガーデンの植物画家の方の作業について。ひとつめの動画で誇りを持って働いているひとがたくさんいるんだな、映像綺麗だなと思っていたらふたつめの動画に釘付けになった。写真や映像にはそれらの良さがあるというのは当然のこととして(技術の進歩!)、人間が植物を自らの手で描く意味。植物の持つ情報を取捨選択して"必要なもの"をより"正しく"描き出していくこと。ボタニカルアートは、色、形、大きさ(縮尺の比にとても気を遣っているようだった)、構成、そうした情報を伝えるための絵画だ。多くの植物が美しいから絵としても美しく描かれているのであって、その美しさが情報として正確であることが重要なんだ。目の前にあるものをそのまま切り取るような、今でいう写真としての役割ではない。目の前にあるものを、情報の塊に分解して再構築していく作業。情報から再構築された植物に、現実の植物との齟齬があってはならない。すべて本当である必要がある。ここの動画で、展示冒頭で出会った文章の意味がわかった。その美しさは正しく描かれたがゆえに成り立つものである、ということなんだね。植物画家の彼女の手が描き出したのは「神は細部に宿る」という言葉が浮かんでくるような線だった。

 

雨に濡れた土や葉のにおいを深く吸い込み、やわらかい秋の日差しを浴びながら静かな庭園を歩く。緑がいっぱいの空間。都内にこうして日常から切り離してくれる場所があったんだなあ。のんびり散歩をしていたら茶室に辿り着いたので見学させてもらう。「光華」という名前らしい。設られた大きな窓に目一杯映る木々を見て、この窓は額縁だということに気がつく。四季折々の自然の彩と太陽の光ををこの窓で切り取って飾っているんだね、なんて贅沢なんだろう。抹茶を点ててひと息ついたとき、ふと目を上げてうつる景色があれなのはとても羨ましいな。

とっても楽しい展示だった。もう一度行きたいくらい。